同志社大学入学

1994年、同志社大学商学部に入学した。
4月のキャンパスは華やかで、3月までの浪人生活とは全然違った。
色んな人と会うし、これまでほぼ誰とも会わず、生活していたので最初の数週間はかなり戸惑った。
語学の仲間、サークルの仲間、体育実技の仲間と次々と人と出会った。
これまで公立の小学校、中学校、高校と地元の仲間だけと付き合っていたことを思うと、大学は全国から人が集まっていて、その言葉も、性格も全く異なっていてすごく新鮮だった。
中学時代に塾の同級生だった奥村が合唱サークルに入るということで入学早々合唱サークル仲間ができた。
僕以外のみんなは結局合唱サークルに入ったが、僕は頑としてそのサークルには入部せず一人でテニスサークルを探した。
合唱は自分には絶対向いてないと思ったし、歌ってる場合じゃないと思ったから。

語学の選択ではロシア語が単位を取りやすいということでその抽選に行ったが、次々に抽選に破れドイツ語のクラスになった。
不思議なもので抽選に落ち続けるうちに落ちたもの同士でどんどん仲間が増えていった。
ドイツ語は全くマスター出来なかったが、ドイツ語のクラスは授業の度に楽しかった。
語学は出席があるので代弁もよくした。
先生:「堀井」
渡辺:「はい」
先生:「渡辺」
渡辺:「はい」
って明らかに同じ声やのにどちらも出席になっていた。
しかも誰一人ドイツ語をマスター出来ていないのに全員優で単位がとれていた。
怪しいけどいい先生だった。

入学して半年もすると持病のアトピーがひどくなり、それから1年くらいは人と会いたくないから学校に行ってもそそくさと帰る日々だった。
この間はステロイドの反作用でかゆくてかゆくて夜は眠れないし、体を掻くものだから眉毛や、髪の毛まで抜けてしまい人と会うのが嫌で嫌で仕方なかった。
肉体的にも精神的にもきつく人生最悪の期間だった。

遠くの病院に通ったり、食生活を制限したり、日光に当たることで2回生の後半くらいから徐々に良くなった。
アトピーが治った最大の要因は仲間がそんな状態でも普通に接してくれたことだと思う。
僕の経験ではこういう病気は精神的なものがかなり大きいような気がする。

この頃から自分は本当に色んな仲間に支えられて生きているんだなぁと実感するようになった。
今までになかった感覚だった。
将来の目標がより強く、より明確なものとなったのもこの時期だったと思う。
抽象的かもしれないが浪人時代に考えたときよりもっと世の中の役に立ちたいと思った。
そのためにはまず自分の周りの仲間を楽しませることが必要だって思うようになった。
完全に大阪人の発想ではあるが。
ただそのことで自分の存在意義を感じれるような気がした。
その存在意義を確認するためにも自分の目標は間違っていないと確信した。

 

御殿山テニスクラブ

テニスサークルに入ると新歓合宿というものがありそこで出会ったのが田崎先輩だった。
もと柔道部のこの先輩は酔ったいきおいか畳の上で次々と後輩を投げ飛ばしていた。
とりあえずは近づかなかった。
その後しばらく会うことがなかったが、1年半ほど経ったときにテニスを初めて一緒にしてもらうとめちゃめちゃ上手く独特で人間的にも魅力的で今までに会ったことのないような人だった。
ただその後もめったに会う機会がなかったので迷惑を承知で家に電話してみた。
「もしもし渡辺です。テニス上手くなりたいので個人的に教えて頂けないでしょうか?」
するとわざわざテニスコートを予約してくれて毎週2時間程練習をしてくれることになった。
それから数ヶ月後には「もっと練習してみたら?」ということで先輩がアルバイトをしていた御殿山テニスクラブを紹介してもらいそこで練習生という形で採用してもらった。
田崎先輩にはテニスはもちろん、物事の考え方まで本当に色々と教えて頂いた。

今の僕の思考回路の3割くらいは先輩譲りだと思う。(大学②へつづく)