高校時代

1990年、大阪府立四条畷高等学校に入学。
四条畷高校は自由な校風で、大部分の人が部活をしていた。
だから1年生、2年生のうちは部活中心で、3年生になってからようやく受験勉強する人が多かった。
僕も今までにしたことのないスポーツをと思い色々と見学した。
まず、オリンピックの影響で「日本人は柔道だ!」と思い、中学からの同級生の谷を無理やり誘って見学に行った。
試しに柔道をしてみたら投げられたときに思った以上に痛かったので、柔道部に入部するのはやめた。
ただ誘った谷はそのまま入部したので、卒業アルバムを見るたびにちょっと申し訳ない気がする。
次に水泳部に見学に行ったが、4月の屋外のプールの水はあまりにも冷たかったのでこれまた断念。
そして、理由はよく覚えていないがなんとなくテニス部に入部した。
入部してから夏前くらいまではボール拾いやランニングばかりで、ほとんど練習できなかったが、いざプレーしてみると全くラケットの真ん中にあたらずストレスだけがたまった。
中学の頃に軟式テニスをしてた仲間はやはり上手で、最初から大きな差があった記憶がある。
だから高校時代はテニス部ではあったが、テニスが楽しいと思ったことはほとんどなく、部活だから一応練習に行っているくらいのものだった。
テニス部内での人間関係も当時はあまり良くなく、みんながギスギスしていたような気がする。
クラブのウェアを決めるときも緑色にするか黄色にするかで揉めて、結局バラバラの色のウェアを着た。
あまりにもどうでもいいことだけに今となっては笑ってしまうが。

ロブばかり打っていた西村は、試験前に数学のノートをいつも快く貸してくれた。
社会人になってからも西村とはテニスをするのでよく会うが、ホントいつでも几帳面で、そのマメさとタイのキックボクサー並みの爽やかさには毎回感心する。

小学校1年生からの同級生の新宅っくんは昔からの神童で頭の良さピカイチ。
6歳からの自分を知られているので新宅っくんに昔の話をされるとかなり恥ずかしい。
いつも気合充分の望月は成績抜群、テニスはエース。
当時はどうにも鼻持ちならない奴だった。
帰国子女の望月と純和風の僕は当時は気が合わず、学校ですれ違ってもほとんど会話することもなかった。
今思うとただの僕の嫉妬だった。

テニス部の合宿では朝から6キロ程のランニングがあった。
最初はみんな軽いジョギングみたいな感じで走っているのだが、途中から駆け引きが始まり、最後はまさにサバイバルレース。
僕は朝のランニングだけで体力を使いきってしまった。
メインのテニスのときには完全に足がとまっていた。
そこでも望月はテニスの練習もバリバリやっていた。
その後望月は神戸大学のアメリカンフットボール部で活躍し、三菱商事を経てFERRIER HODGSONというオーストラリアの会社で事業再生の仕事をしている。
読み方も分からん、、、
もともと高校時代も5本の指に入るほどの優秀な奴だったが、商社を経験していることもあり今では5ヶ国語以上(もっとかも)話し、いつでも海外を飛び回る超エリート外国企業社員になってしまった。
やっぱり何事も気合いだなって望月を見るたびに思う。
毎年正月に望月宅で新年会をさせてもらっているが、その度にグレードアップしていて毎年毎年勉強させてもらっている。

数年前に東京の望月宅に遊びにいったときに望月が「会社の上司連れて来るわ」って言って、連れてきてくれたのが上司のピーター。
正直心の中では「ピ、ピ、ピ、ピーターって、、、」って思いながらかなり動揺したが、武士道の精神でもてなしておいた。

そんなまさに世界を飛び回って大活躍している望月だが、本人は、「海外に行くと日本の良さが分かる。だから海外から日本の役に立ちたい」と言っていた。
ほとんど海外以外に行ったことのない僕とはまるでスケールが違うって思った。
尊敬です。
ただ同じフィールドでは一生勝てないので、僕は地域から関西を良くしたいと思うようになった。
高校の授業のレベルは非常に高かったような気がする。特に数学は授業では全く理解できなかった。
試験も異常に難しく、200点満点で平均点が50点とか、中学時代では考えられないレベルだった。
その200点満点の数学の試験で3点しか取れなかったときは、自分の数学的センスの無さにただただ絶望した。
100点満点なら、1.5点、、、終わってる。
こんなふうに高校時代の僕は成績も悪く、テニスも下手で自己嫌悪に陥っていた。
どう勉強していいかも分からず、どうやってテニスの練習をしたらいいのかも分からず、八方ふさがりだった。
「俺って駄目人間かなぁ」って本当に思っていた。
高校時代の3年間はコンプレックスの塊だった。

そんな高校時代ではあったけど、普通では出会えないような優秀な友達が出来たことと、その頃は全然好きではなかったけどテニスというスポーツに出会えたことは、今となっては僕にとって人生最大の幸せだったと思う。

高校の校歌で、「理想の高嶺さらにめざさん」って歌詞があるので、とりあえず目標は高く設定することにしている。ただ「めざさん」だと目指すの?目指さないの?どっちか分かりにくいような気もする。