小学校時代

1981年、四條畷市立忍ヶ丘小学校に入学する。
家からは歩くと30分位ありすごく遠かったが郊外にあることもありのんびりとした校風だった。
当時の小学校は週休2日なんかなくて、土曜も午前中は 学校に行って、昼頃に集団下校ていた。
ちょうど家に帰ると吉本新喜劇をやってるので何気なく見てたが幼心にボケたり突っ込んだりする習慣が身についた。
小学校の頃のあだ名は「わんたん」。
「わんたん」の「わ」と「た」から多分ついたんだと思うが、こう呼ばれるのも中学校の頃までだったので久しぶりにあだ名で呼ばれると、恥ずかしいような、嬉しいような気持ちがする。
当時は小学生が塾に通うこともあまりなかったので勉強は学校でする程度だったと思う。
だから得意科目や苦手科目もなくただ学校で教わることを単純に学んでいた。

運動は、走ったり、泳いだり原始的なことは得意だった。だから、マラソン大会は、「一緒に走ろな」言っといて、猛ダッシュ。だけど、跳び箱がめちゃめちゃ苦手だった記憶がある。

家に帰ったら、近所の友達と野球やゲームをして遊んでいた。同じマンションの同じ棟に住んでいてゲームをいっぱい持っているTKOの木下くんと仲良かった。

世の中はきっと激しく動いていたんだと思うが、そんなことはおかまいなしで僕の中ではゆっくりとそして穏やかに時間が流れていた。